UO小説『Red and Blue』
1.
断末魔の叫び声をあげながら血しぶきをあげ、盗賊の一人が後ろに倒れた。私は返す剣で背後から襲い掛かって来ていたもう一人の盗賊の胸を貫いた。
これで残る盗賊は後一人。私は右手に握った剣を無造作に振り、血を払った後、その剣先を最後の一人へ向けた。
「ひ、ひいぃぃぃ!!」
逃げようとして走り出した盗賊の背中に私が投げつけた剣がズブリと嫌な音を立てて突き刺さる。背中に剣が刺さりながら尚、命乞いをしてくる盗賊に私はゆっくりと近づき、その脳天に拾ったハルバードを力いっぱい叩きつけた。頭蓋骨がへし折れる鈍い音が周囲に響き、目鼻口から血を流しながら盗賊は絶命した。
周りを見渡し、安全を確認した後、私は近くの木陰に声を掛けた。
「ほら、終わったよ。出てきな」
木陰から修道衣に身を包んだ若い女性が顔を出した。気が弱そうな顔立ちにしっかりと手入れがされた青色の髪が美しい。私のぼさぼさの真っ赤な髪とは大違い。彼女が私の友人のルナだ。
「フレア、終わったの……?」
「あ? 見りゃ分かるでしょ。もう終わったよ。弱っちいやつらばかりだったね」
周りを見渡した後、ルナは彼らに向かい、手を合わせ、祈り始めた。
「おいおい、勘弁してよ、ルナ。あんた、今さっき襲われた相手の冥福まで祈るのかい?」
「当たり前よ。鎮魂っていうのは大事なんだからね? それに一番に呪われるとしたら、あなたじゃない。ちゃんと送ってあげないと」
「やめてよ、気分が悪くなるから」
辟易とした気持ちで肩をすくめた後、私は話をやめて剣を拾いに行く。ルナとは子供のころからの付き合いだ。気は弱いくせに、こういうときは全く引かないことを知っているからだ。剣に付いた血を盗賊の服で拭い鞘に納めた後、私は西の方角を見た。日が大分傾いている。
「ルナ、今日はこの近くで宿をとるよ」
声を掛けたが祈りが続いているのか、ルナはぶつぶつと呟きながら目を閉じ両手を合わせている。私は深くため息をついた後、近くの切り株に座り、その祈りが終わるのを待つことにした。
2.
祈りを終え、街道を歩いていた私の目に小さなログハウスが見えてきた。その軒先に掛かっていた「Silver Serpent’s Inn」という看板を見て、私とルナは顔を見合わせる。銀蛇の宿とはまた挑戦的な名前の宿だ。これで泊まりたくなる客がいるものなのか、とつい笑ってしまう。とは言え、日も大分落ち、これ以上の夜道は危険だろう。私はともかく、ルナの体力もそろそろ限界だ。
年季の入ってそうな木製の扉を開け、中に入った私を見て、主人らしき男が慌てて駆け寄ってきた。年はまだ30代前半といったところだろうか。
「いらっしゃいませ! お泊りですか?」
「ああ、そうだよ。二人だ。空いてる?」
「えぇ、もちろん空いておりますとも! それではお名前を頂戴しても?」
「フレア。こっちはルナだ。」
「フレア様にルナ様ですね! それではこちらへどうぞ!」
陽気に喋る男に案内され、私たちは2階への階段を登りはじめた。ギシギシと怪しい音を立てる階段に、後ろを歩くルナは不安そうな顔をしている。
「……大丈夫だって。そんなすぐに壊れるような階段じゃないし、壊れたところで死にゃしないでしょうが」
「わ、分かってるけどさ……ちょっと怖いじゃん?」
二人の声が聞こえていないのか、あえて聞かないようにしているかは分からないが男は変わらぬ笑顔を見せながら2階に辿り着き、部屋の扉を開けた。
「さぁ、こちらへどうぞ! うちの宿屋で一番の部屋ですよ」
「……ここが?」
部屋の中を見渡したがお世辞にも高級宿とは言えない作りだ。二つあるベッドはどちらも色あせたかび臭い布団が乗っているし、近くの木製テーブルには大きな亀裂が走っている。備え付けられている椅子は先ほどの階段よりも痛んでおり、足の一部は腐りかけているように見える。タンスの上には何故置いているのか分からない丸い石まである。
「宿代は?」
「お二人で3000Gpになります」
「結構な額、持っていくもんだね……」
一通り見渡した後、宿代について軽い嫌味を言ってみたが男は笑顔の表情を一切変えることはない。ある意味、大した商売人なのかもしれない。
しょうがなく荷物を降ろし始めた私たちに主人が声を掛けて来た。
「お二人は……、戦士様と修道女様か何かですか? 珍しい組み合わせですね」
「はぁ? あんたには関係ないだろ。ほっとけよ」
ぶっきらぼうに答えた私の方を見てルナがため息をついた。
「申し訳ありません。友人はちょっと言葉が悪くて……。
私はルナ。修道女として修練の旅をしております。彼女はフレア、私がユーで生まれ育ったときからの幼馴染で、親友なのです。普段は傭兵として働いているのですが、今は私の旅の護衛をしてくれているのです」
「あんたみたいな世間知らずが一人でウロウロしてちゃ、モンスターか人さらいの餌食だからね。大体、あんたのところの修道院がおかしいんだって。修練の旅だか何だか知らないけど修道女を各地に回らせるなんてさ」
「あら? 修道院ではちゃんと護衛の戦士たちを付けるって言ってくれたのよ? なのに、それを強引に押し切って護衛を買って出たのはフレアじゃない。……そういえば、そもそも何で護衛なんか買って出たのよ? それもタダでなんてあなたらしくないじゃない?」
「護衛の戦士たちなんてのは、むさくるしい男共だったじゃないか。あんた、あんなやつらと一緒に旅したいわけ? あたしなら御免だからね、だからしょうがなく付き合ってやることにしたんだよ」
「フレアの男嫌いも相当なものねー。もういい年なんだから恋人ぐらい見つけなさいよ。フレアなんて美人だからその気になればあっという間に結婚できちゃうよ?」
「黙れ」
私がギラリと睨むと、ルナは少し笑った後、男に向き直った。
「そういうわけですので……ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします」
「えぇ、えぇ。お気遣いなく。それではゆっくりしていってくださいね」
そう言って主人は結局、最初のまま笑顔を絶やすことなく、部屋を出て行った。
「それじゃ、ゆっくり休んで明日に備えましょう、フレア」
「ああ。ちょっと水くんでくるよ。先に休んでくれていいよ」
「うん、わかった」
水汲みをもって部屋を出て、少し歩いた後、階段の前の壁にもたれかかった私の口から呟きの声が漏れる。
「恋人を探せ、か。
それが出来れば私だってこんなしんどい思いはしなくていいんだろうけどね」
3.
妙な圧迫感を感じながら朝を迎えた。隣ではルナがいつものようにすやすやと寝ているが、どこか空気がおかしく感じる。何だろう。危険な気がした。
私はベッドから降りると、近くに立てかけてあった剣を持ち、ルナを起こさないようにしながら部屋を出た。窓から日差しは入ってきているが、宿の中に人気は感じられない。
階段を降りるときのきしむ音も昨夜と何も変わらない。
だが違う。何かが違う。
階段を降りきり、周りを見渡したが誰もいない。
あの陽気な主人はどこに行った? 朝だから畑か鶏小屋にでも出かけているのか?
男の行方を考えながら、剣を握る手の力を緩めたときだった。カウンターの裏で何かが動く音とヒュンっという風切り音が聞こえた。
「……!」
左腕に焼けつくような痛みが走り、私が目をやると、赤い一本の矢が左腕に突き刺さっていた。次の瞬間、カウンターの陰から一人の男が飛び出し、私へ手を向けた。
ドンッ! 後ろの壁が吹き飛ぶ男がした。
前に転がり、すんでのところで避けた私は後ろの壁を吹き飛ばしたものが男の放った魔法の光弾であることに気付いた。Energy Boltと呼ばれる魔法で、当たればタダでは済まなかっただろう。それを私に向かって放ってきたということは、間違いなく目の前にいる相手は敵だということだ。
理由は分からないが考えていれば死ぬだけだ。床を蹴り、その勢いで私は剣を横薙ぎに払う。剣を避け、下がった相手に向かって、私はもう一歩自分の身体を飛び込ませる。たたらを踏んだ相手は態勢を崩しながらも魔法の詠唱を始める。だが私も既に力の言葉は唱え始めている。
“Augus Luminos”
Holy Lightの呪文を唱えるのは私の方が早かった。聖なる光が私を包み込み、その光が周囲に飛び散った。詠唱が乱された相手は光に目が眩み、態勢を崩した。逆に態勢を整えた私は右手の剣を相手の肋骨の隙間から心臓へと吸い込ませる。数秒の静寂が訪れた後、いつものように血泡を噴かせながら目の前の相手は床に崩れ落ちた。
「何だってんだ……」
訳が分からないまま、襲われた私は目の前に倒れている死体を呆然と眺めていた。
「フレア!」
背中から声が聞こえ、私は振り向いた
「何があったの…?」
怯えた顔で私の方を見るルナがいた。
怖がらせたくない。ルナだけは。
「大丈夫だよ、どうせいつもの盗賊の類だろうさ。主人は逃げちまったんじゃないか? はっは、こりゃ料金は支払わなくっていいかもね」
「フレア、その腕……」
ルナは泣きそうな顔で私の腕を見ている。左腕の突き刺さった矢から滴るように血が床に流れ落ちている。
「心配ないよ。ちょいと油断しただけ。包帯持ってきてくれる?」
「う、うん……」
私は腕から矢を抜き、ルナからもらった包帯で止血をした。当座はこれでしのげるだろう。
「ルナ、すぐに着替えて宿を出るよ」
怯えるルナを急かして、私たちは荷物を整え、宿の外に出た。
明るい光。だが空気は違う。
例えて言うなら針の雨が降り注いでいるかのように肌が刺されるような感覚だ。
周りを見渡すと、昨夜まで緑が繁っていた木々は枯れてしまっており、一枚の葉も見られな い。まだ冬の季節には何か月もあるというのに。
ようやく私は気づくことが出来た。
ここはフェルッカ。凶悪な犯罪者たちが根城とする世界。
そこに私たちはいるということを。
4.
パチパチと燃える焚火の前、私とルナは寝床の準備をしていた。
街道から外れた廃墟。今日はここが宿となる。雨風が少しでもしのげればいいのだが残念ながら屋根は崩れ去ってしまっている。
「やっぱり街道は危険なの?」
「だから言ってるだろ? ここはフェルッカだよ。街道を歩くなんてのはどうぞ襲ってくださいって言ってるようなもんさ。モンスターに出会う方が百倍マシって話」
「ん、分かった……」
「……もう少し歩けば街に出るよ。さ、今日は寝な」
そうルナに声を掛けた後、私は寝床へと入り込んだ。自分にそう言い聞かせたかったのかもしれない。街道を通らず森の中を歩き続けているのだ。既に道に迷ってしまっていてもおかしくはない。ルナもきっとそれには気付いているはず。だけど今、それを言っても意味はないということは私もルナも分かっている。
すやすやとルナの寝息が聞こえて来た。眠ってくれている姿を見ると本当にホッとする。私は寝床の中に持ち込んだ剣を握る手に力を込めた。
ルナは立派な修道女だ。そしてこの子を守るのが私の仕事だ。
夜明けまではまだ時間はある。今夜は何を考えながら過ごすのがいいだろうか。
パキ……
2,3時間も経ったころだろうか。近くで木々を踏むような音を聞こえ、私は寝床から立ち上がった。
「ルナ、起きて」
「んぁ……?」
寝ぼけ眼のルナも起こされたことですぐに状況を理解したようだ。
周囲に複数の目が光り、チューチューと鳴き声が聞こえている。
ラットマン。
人の形をしたこのネズミのモンスターたちは群れで生活している。どうやら焚火の光に寄ってきたのだろう、徐々にラットマンの姿が森の木々の陰から見え始めた。
警戒しながら近づいてくるラットマンの群れには古びた剣やボロボロの弓を持つものもいた。時折、鈍い音を立てて、矢を放ってくるものもいるが、使い古された弦から放たれる矢には速度がなく簡単に剣で打ち払えた。
シャアアア!
叫び声をあげて、ラットマンが後ろから飛びかかってきた。剣は間に合わない。私は右足を軸に左足を回転させ、ラットマンのみぞおちへブーツの踵を叩きこむ。次の瞬間、前方にいた別のラットマンが私の頭部へ目掛け剣を振り下ろしてきた。私が振り上げた剣とラットマンの剣がぶつかり合い、耳障りな金属音が鳴り響く。
不快な音に顔をしかめる目の端では矢をつがえる、また別のラットマンの姿がある。
数が多すぎる。
逃げ道を探した私の視界には私を心配そうに見て駆け寄ってくるルナの姿がある。
あんたが来てもしょうがない! そう言いかけたときだった。
視界の端で矢をつがえていたラットマンの頭が鈍い音を立てて吹き飛んだ。仲間の死に動揺したのか、後ろを振り向いた目の前のラットマンが隙をみせた瞬間、私の剣はその首を刎ねる。
「大丈夫かい?」
そう言って声を掛けてきたのは20代かそこらかの見目麗しい男の戦士だった。彼が持っているメイスには血と毛のようなものがこびりついている。恐らくはあれでラットマンの頭を吹き飛ばしたのだろう。
「誰だ、あんたは!」
ここフェルッカで油断は出来ない。ラットマンと戦いながら彼から目を離さない私の姿を見て、青年は慌てたように声を掛けた。
「心配いらない。僕はエリック! ジェロームの傭兵だ!
……とにかく、話は後に! ここは一緒にラットマンを片付けよう!」
油断は出来ないが、ラットマンたちの第二陣は既に目の前に迫ってきている。私はそちらへ剣を向ける。もちろんエリックという男から目は離さずに、だが。
5.
「ぷはー、やっぱり一人で戦うより人が多い方が心強いよね!」
戦いが終わり、焚火で沸かしたコーヒーを飲みながらエリックは気さくな声で私たちに話しかけてきた。
「ありがとうございました。エリックさんがいなかったら私たちどうなってたか……」
「いやいや、僕だって一人で囲まれていたら、やばかったと思うしね。お互い様、お互い様!」
ルナとエリックはつい先ほどの知り合いだというのに早くも談笑を始めている。ルナは元々、人懐っこいところがある。私にはない取り柄だけどここフェルッカじゃ逆に心配になる。
「じゃ、もう一度自己紹介しようかな。僕はエリック。さっきも言ったようにジェロームの傭兵だ。何でこんなところにいるかっていうと……ちょっと傭兵団の遠征中に道に迷ってしまってさ? で、こんな森の中を歩いていたってわけ」
「何だ、間抜けな奴だな」
「フレア!」
私の発言を聞いて、ルナは怒ったように私を睨みつけた。
「はは、その通りだから何とも言えないなぁ。それで、君たちは何ていうの?」
「あ、私はルナと言います。彼女は……」
ルナが視線で訴えてくる。分かったよ。
「フレア。ルナとは幼馴染で今は傭兵で護衛役だ。以上。」
ぶっきらぼうに答え過ぎたせいだろう、ルナがまた恨みがましいような目でこっちを見るが知ったこっちゃない。
「ま、まぁ、それで君たちはどうしてこんな場所にいてたわけ? なんか見たところはトラメラーって感じがするんだけど」
トラメラー。
私たちが元々いた世界トラメルはフェルッカとは鏡のような別の世界。そこに住む者たちのことを人は時にそう呼んでいる。
「……そうだよ。どうしてかは知らないけど気づいたらこの世界に来ていたのさ」
「不思議よね。宿屋に泊まって次の日には……って感じだったし」
「宿屋?」
エリックがいぶかしげな顔をした。
「もしかして…それって『Silver Serpent’s Inn』って宿じゃないの?」
宿の名前を当てられ、私とルナは思わず顔を見合わせる。エリックは、やっぱりか……と言った顔でため息をついた。
「あの宿はね、フェルッカにいる犯罪者たちがトラメラーを自分たちの世界に引き込むために経営している宿なのさ。宿の部屋に小さな石がおいてあっただろう? あれはムーンストーン。フェルッカとトラメルをつなぐ石とされている。その石が君たちをこの世界へ引きずり込んだんだよ」
そういえば棚の上にそんな小さな石があったことを思い出した。あの主人の張り付いたような笑顔を思い出し、私は唇を噛んだ。
「……トラメルに戻るためにはどうしたらいい?」
エリックを信用しているわけじゃないが今は頼る相手がいないのも事実だ。
「ムーンゲートを使うのがいいだろうね。あれに入れば恐らくトラメルの世界へ戻れるはずだよ」
ムーンゲート。
ブリタニア各地をつなぐという魔法のゲート。
確かにそれを見つければ戻れるはず、だが…
「でも……今いる場所が分からないし、私たちゲートの場所も分からないね?」
困ったように笑いながらルナが私に話しかけた。
大丈夫、きっと見つける。
そう言おうとしたときエリックが口を開いた。
「大丈夫! ムーンゲートの場所なら僕が知っているからね!
歩いていくと、あと三日程はかかるけど僕が案内しよう」
「本当ですか!」
ルナの目が希望に輝いた。
「良かったね、フレア! 私たち帰れるかも!」
「……信用出来たらの話だけどね。」
「ま、また憎まれ口ばっかり…さっき助けてもらったばっかりじゃん」
「ははは、二人は仲が良いんだね。ま、今日はそろそろ寝ようか。明日は朝早くに出発しよう」
エリックはそう言い、見張りを買って出るといって周囲を見回りに行った。
「いい人だよね」
「あんたは信用しすぎなんだよ」
「そっかな、でも恰好いいし……♪」
修道女だろ、あんた!
そう言おうとして横を向いたとき、エリックの背中を見つめるルナの顔を見て私は言葉が出なくなった。
ルナは恋をしている。それが分かったからだ。
私は口をつぐみ寝床に入って毛布をかぶった。
それで当然だ。私には何かを言う資格なんてないのだから。
6.
「ちょっと待った。ここからは街道を行くって本気で言ってんの?」
「うん。しょうがないよ。この先の森は危険なモンスターが出るし、まだ街道の方が安全だと思う」
「だから! それはPKに狙ってくれって言ってるようなもんじゃないか!」
PK。通称Player Killer、Player Killingと呼ばれるフェルッカ特有の犯罪者たちだ。トラメルで時折現れるような盗賊とは格が違い、個人・集団で襲い掛かってくる。彼らに狙われれば私たちの命の保証はまずない。
声を荒げた私を横目にエリックは困ったようにルナを見た。
「フレア、言っていることは分かるけど……この辺りで地理に詳しいのはエリックさんじゃない? それにエリックさんはフェルッカで生活している方なんだから彼の意見を聞くのも大事なんじゃない?」
「……」
エリックと出会ってから二日。街道を避け、モンスターと戦いながら私たちはムーンゲートを目指していた。彼の人柄はこの二日間で見て来たし、戦いも上手い。彼がいなければ私たちだけでここまで来られていたとは思えないのも事実だ。
やむを得ず私たちは街道を歩き始めた。エリックは前。私は後ろ。ルナはエリックの傍にいる。時折、エリックと楽しそうに話すルナの姿が視界に入る。
太陽はそろそろ登り切ってきた。もうそろそろ昼の食事時間にしてもいい頃だろう。
そう思い、彼らに声を掛けようとしたときだった。
“An Ex Por“
突然の詠唱で体が動かない。Paralyze。相手の動きを封じる魔法だ。
そして次の瞬間、私の体が炎に包みこまれる。
前を歩くエリックとルナが異変に気付いた。
炎に包みこまれながらも麻痺が解けた私は転がりながら後ろを振り返る。
敵は三人。男が一人、女が二人。三人組のPKのようだ。
彼らの方を向き直った時、体を白い光が覆い、火傷の傷が癒される。ルナが唱えてくれた回復の魔法だろう。
「逃げるよ!」
エリックが叫び、魔法を唱え始めた。
剣を振るおうとしたとき、私とPKたちの前に魔力の壁が出来る。Energy Fieldの魔法をエリックが唱えたのだ。普通ならこんな魔法、すぐに迂回して来られるが運よく木々が邪魔をして彼らの行く手を阻んでいる。
私たち3人は森の中に逃げ込み、走り続けた。背後からの魔法の弾丸は周囲の木々を激しい音を立てて破壊していく。数分のことが数時間のように思える中、ようやく詠唱の声が聞こえなくなり、私たちは立ち止って後ろを振り返った。気配がない。恐らくは逃げ切ったのだろう。
「だから…だから言っただろうが!! 街道は危険だと!」
エリックが悪いわけではない。そう思ってはいたが私の口からは自然とエリックを責める言葉が出ていた。
「……」
エリックは気まずそうに顔を伏せ、ただ黙って私の罵倒を聞いていた。
「フレア、エリックさんが悪いわけじゃ…」
「あんたは黙ってな!」
ルナの言葉も耳には入らない。いや入ってはいるけど聞きたくない。
「悪いけどあんたを信用は出来ない。それこそ街道に誘い出して、あたしたちを襲わせた可能性だってあるからね」
「そんなことは……。いや……、信じてもらえないならしょうがないかもしれないね」
静かにエリックは指先を森の先へ向けた。
「この先に、ムーンゲートがある。多分、もう後少しだよ。信じるか信じないかは君たちが決めればいい。僕はそこからジェロームに帰る」
そう言ってエリックは歩き出し、すぐに森の奥へと消えていった。
その後ろ姿を眺めていた私にルナが声を荒げた。
「フレア! 何であんなことを言うの! 信じられないよ!」
「だから言ってるだろ、あいつは信用できない」
「そんなことない! エリックさんは私たちを助けようと一生懸命だった…、それが分からないフレアじゃないでしょ!」
「そんなことは…」
言葉が出ない。言葉が続かない。感情が入ってくる。嫌な感情が消えない。
何か言おうとしても何も言えないまま、時間だけが過ぎようとしたとき、静寂の森の中で再び魔法の詠唱が聞こえてきたことに私は気づいた。
「ルナ、危ない!」
「フレア!」
ルナをかばった私の背中に魔法の火球が当たり、担いでいた荷物が吹き飛んだ。
青いローブに身を包んだ男がハルバードを握り、向かってきている。
さっきのPKの一人だ。
「ルナ! エリックを追いかけて! 早く!」
「フレアは?!」
「あんたがいちゃ足手まといなんだよ! さっさと行きな!」
私はルナを突き飛ばし、剣を構える。相手は一人だけ。それなら何とかなるかもしれない。
せめてルナが逃げるまでの時間だけでも稼げればいい。背中の感覚でルナが森の奥へ走り始めたのを感じた後、私は男の方へ走り出す。
馬上から振り下ろされるハルバードを避け、転がりながら馬の脚を切り裂く。派手な音を立て、落馬をした男へ私は剣を振り下ろした
ガチン
振り下ろした剣はかわされ、ただ地面を打ち付けることになった。動きが早い。
態勢を立て直した男が横に薙ぎ払ったハルバードは運よく刃の側面だったが強く私の身体に打ち付けられる。激痛と一緒に吹き飛ばされ、私は痛みに顔をしかめながら詠唱を始める。
“Forul
Solum”
Enemy of One。これで少しでも何とかなれば。そう思った瞬間に体が再び炎に包まれる。
炎から出た私にハルバードが再び振り下ろされ、左肩を激しい灼熱感が襲う。右手に持った剣をめくらめっぽうに薙ぎ払った。運が良かったのだろう。剣は彼の目元を切り裂いた。
動きが止まる。火傷に痛む足で地面を蹴り、私は男へと剣を突き刺した。男の右胸を剣が貫く。全身の力を振り絞って、私は剣を持つ手を動かし、剣先を体の奥へねじりこんだ。
飛ぶ血飛沫。頭、顔、体、四肢……、私の身体中に、その血が飛び散った。
力が抜けたように私は地面にあおむけに倒れこんだ。
雲一つない空に鳥が飛び交っているのが見え、私は気を失った。
7.
火傷と切傷、肋骨も何本か折れていそうだ。痛む身体を引きずりながら目が覚めた私はルナとエリックを追って森の奥へと向かっていた。
一時間も歩いたころ、森の奥から煙が立っているのが見えた。
あれがゲートの場所だろうか?
木々の間から青い光がこぼれている。その光の方へ私は歩いた。
森を抜けた場所。そこには青いゲートがあり、その周囲には円状に石が並んでいた。
近くには5人の男たち。皆、血だらけの姿だ。
ぼやける視界の中、ゲートの近くに倒れている二つの人影が見えた。
一人は戦士、もう一人は修道女。
エリック。
ルナ。
声が出ない。
身体が思い通りに動かない。
でも彼らのところに向かいたい一心で身体を必死で前に進めた。
ムーンゲートの周りにいた一団が私に気付き、向かってきた。
もうどうなるかなんて分かっている。
でもただ先に進みたい。彼らのところにいきたい。
頭に振り下ろされる斧のようなもの。鈍い音が鳴り響いた後の記憶はあまりない。
気が付いたら私はゲートの近くでルナの隣に倒れていた。
エリックはルナを守ろうとしたのだろうか、ルナよりも傷が深い。
ああ、エリックはやっぱりいい人だったんだな。
ごめんね、エリック。
ルナがうっすらと目を開けた。
「フレア、ごめんね。ありがとう」
かすれるような声で言った後、ルナは静かに目を閉じた。
その目が二度と開かないことを私は知っている。
何で私はエリックを信じなかったんだろう。
3人ならさっきみたいに逃げられたかもしれない。
ルナだけでも逃がせたのかもしれない。
ルナが愛したエリックだけでも逃がせたのかもしれない。
ルナ、守れなくってごめん。
ルナ、怖がらせてごめん。
ルナ、愛してる。
ずっと前から。これからもずっと。
ルナ、私の最初で最後の恋人。
雲一つなかった青空は終わりを迎え、太陽が西の彼方へと沈もうとする中、夕暮れの光が私たちを包み始め、同じ色に染めていく。
もう何も答えないルナの隣で私はゆっくりと目を閉じた。
こことは違う場所でも、もう一度、ルナに会えたらいいな。
(完)
《あとがき》